わたしにとって、生涯忘れることのできない生き様を教えてくれた不思議な出来事。
そのことについて書いてみたいと思います。
あらがうことのできない大きな流れの中で

長く続いた世界的なウイルス病の流行が、やっと落ち着いてきたころのこと。
いつものようにわたしはあめちゃんと電話でおしゃべりをしていました。
あめちゃんはわたしの魂の友、いわゆるソウルメイトみたいな存在です。
彼女には過去世にまつわる記憶があります。
敵対する者に世論を操られ、なすすべなく追い詰められ追い落とされた。
だからでしょうか、今でも過剰な世論とか有無を言わさぬ圧力には敏感になります。
感染拡大を防ぐために、1年以上も行動制限や自粛生活をみながじっと我慢して続けていたころ、まるで戦時中の『欲しがりません勝つまでは』みたいだね、とあめちゃんはしょんぼり言いました。
無力な存在
『あらがうことのできない大きな流れの中では、個々はただ流されるしかない無力な存在』
過去生の経験から刻まれたその思いの前では、感染拡大防止のためにじっと耐える私たちも、かつての世界大戦を戦った兵隊さんも、残された家族も、みな時代と国に翻弄され犠牲になった、無力でかわいそうな人たちでした。
世間でもきっと、特にかつての世界大戦についてはそう思う人の方が多いのでしょう。
でも、わたしは少し違う思いを持っていました。
特に一番の被害者と思われているだろう、戦場で散っていった日本の兵隊さんたちについてです。
あめちゃんのなげきを聞いているうちにもやもやしてきて、わたしは言いました。
「兵隊さんたちは決して死にたくなんてなかっただろうけど、でも、翻弄されて犠牲になっただけのかわいそうな人じゃないと思うよ」
命をかけて、日本を守ったよ。
結果としては戦争には負けたけど。
終戦から長い年月がたった今の日本は、ダメなところもいっぱいあるし、平和ボケもしてるけど。
ボケていられるくらい豊かな今の日本は、兵隊さんたちの命がけの戦いがあったからだよ。
それなのに、翻弄されて犠牲になっただけって、かわいそうな人だって失礼でしょ。
それに、言われるがままにただ従っただけじゃない人だっていたはず。
そのことを伝えなくては、とわたしはなぜか焦るように思っていました。
伝えたい想い
「いやー、そうは思えないな」
あめちゃんは、そんなの納得できないよという様子でした。
「いや…、わたしも兵隊さんたちが好きで戦争に行ったとは思わないよ。
でも、今の私たちが考えるようなものじゃなくって…。
何というか、当時、あらがえない状況を受け入れて肚をくくった、そういう人たちも確かにいたと思うんだよ」
んー…、うまく表現できない。どう言ったらいいんだろう?
うーんと考え込んでしまった時、唐突にグワッと大きな想いが胸にせり上がってきました。
「…大切な人たちを、守りたかった」
胸をしめつけるような切実な想い。
わたしの喉から押し出された言葉は、かつての世界大戦で散った兵隊さんのものだ…。
深く優しく強い想いに満たされながら、わたしは頭のかたすみでそう思いました。
大切な人へ

兵隊さんの想いに触れたわたしは、感情が高ぶって涙が止まらなくなっていました。
一方で、頭のかたすみでは冷静に今の状況を理解もしていて、胸の中の兵隊さんの想い、号泣しながらそれを伝える自分、冷静に見守る自分が同居していました。
「大切な人を守りたかった」と突然号泣し始めたわたしの事情を、あめちゃんは当然知りません。
引いちゃったかな、とちょっと思っていたら、あめちゃんは少し黙ってからポツンと言いました。
「あなたを失いたくなかった。なぜ、あなたが行かなきゃならなかったの?…」
ーーえっ?
冷静な自分がびっくりしながらも、号泣する自分はオートマチックに兵隊さんの言葉を伝えます。
「大切な人たちを、守りたかった」
「でも、どうしてあなたじゃなきゃいけなかったの」
まるで兵隊さんを知っているかのようなあめちゃんの問いに、わたしは困惑しました。
ーー…もしかして。
そう。それはあめちゃんではなく、戦争で最愛の息子を亡くした母からの言葉でした。
『あらがえない流れへの無力感。無念な思い』
あめちゃんのそれと、息子を亡くした母の想いが共鳴したのでしょう。
兵隊さんとわたし、あめちゃんと母。似たような想いを持った者を通して、彼らには伝えたいことがあるのだと感じました。
遺(のこ)した者より

母は、長男であった兵隊さんをとても頼りにしていました。
息子の将来を楽しみにしていた。なのに、なぜ失ってしまったのか…。
その想いを断ち切れないでいるようでした。
なぜ、あなたが?
その切ない問いに兵隊さんは答えます。
「自分が行かなければ、ほかの誰かが行かなければいけない。
でも、その人にも大切な人がいる。
自分が行かなければ、他の誰かが自分の代わりになってしまう…」
兵隊さんにとっても、母をはじめとする周りの人たちは、とてもとても大切でした。
しかし、それは誰にも等しい思いであることを、兵隊さんはよく知っていました。
・・・
自分だって戦争に行きたかったわけじゃない。
でも、あらがえない時代の流れの中で、家族、恋人、友人、故郷といった大切なものを守るために自分に何ができただろう。
戦場で戦ったのはたしかに国の命令があったからだ。
けれど、大切なものを守るために自分たちにできることもまた、戦うことだった。
自分の大切な人たち、誰かの大切な人たち、その全部が集まったのが国だ。
結果、国を守るためにみなで戦ったんだ。
僕は、大切な人たちに生きていてほしかった。
同じように僕にも生きていてほしかったと悲しむ母の気持ちは、痛いほどに分かる。
時代を恨みたい気持ちも分かる。
自分の無力をなげく気持ちも分かる。
でも、生きて悲しみにくれた人生を送ってほしいわけではなかった。
それを乗り越えて、幸せな人生を生きてほしいと願っていた。
僕は決して時代の流れに翻弄され、哀れに死んだのではないんだよ。
生きていた時代を受け入れて、あなたたちを守ると肚を決めて、精一杯生きたんだ。
だから、悲しまないで。
時代を恨み、なげかないで。
僕は精一杯生きたよ。
あなたも自分の人生を精一杯生きてほしい。
・・・
それが兵隊さんの想いでした。
優しく凛とした想いに胸がいっぱいになって、この時わたしはうまく全部を伝えられなかったと思う。だから、ここに書き残しておくね。
ーー母へ。
遺(のこ)された者より

しゃくり上げて泣くわたしのせいでたどたどしくなった兵隊さんの言葉を、お母さんは真剣に聞いてくれていました。
ながく深い失意の中にいたその気持ちはすぐには変えられないようだったけれど、それでも彼の言葉をしっかりと受け取ってくれました。
「あなたを失ったことに納得はいかない。でも、あなたの気持ちは分かった」
そう言って息子の生き様を認めてくれたお母さんは、すごい人だと思います。
兵隊さんの言葉が真摯なものであるほど、そんなすごい息子を失った母の無念はさらに大きくなっているだろうに…。
でもここから先はお母さんが自分で答えを探していく部分であり、兵隊さんはこれ以上母の気持ちに踏み込むつもりは無いようでした。
ただ母の呪縛になっている想いを、自分の気持ちを伝える事でほぐしたかったんだろうと思います。
母の言葉を聞いて、兵隊さんはちょっとホッとしたようでした。
にっこりと笑顔になってくれたような気がしました。
今も思い出すたびに思うこと

不思議な体験だったね、とあめちゃんとわたしは最後にお互い泣きながら言って、電話を切りました。
この出来事が、私たちが偶然呼び寄せたものなのか、それともあちら側からの意図だったのかは分かりません。
私たちの口を借りて語りあった一組の親子は、もしかしたら、同じような想いを持った魂たちの集合体同士であったのかもしれない、とも、あとになって思いました。
いずれにしても、わたしにとっては決して忘れられない出来事となりました。
このことを思い出すたびに、わたしの脳裏に必ず浮かぶものがあります。
『零戦の前に立つ兵隊さんの笑顔のモノクロ写真』と、
『肩を寄せ合って、空から日本列島を見守る兵隊さんたちの優しい後ろ姿』です。
今でも鼻の奥がツンとして、涙が出そうになります。
すべての兵隊さんが、彼のように思っていたわけではないでしょう。
でも、わたしの所に来てくれた兵隊さんの想いは、まぎれもない彼にとっての真実。
彼らのように一生懸命に生きたいと思う。
そして、その生き様は生涯忘れない。
わたしの心に深く刻み込まれた不思議な出来事でした。